【中津市】『寺町通り』祇園の季節、城下町の風情ただよう石畳の町を歩く

大分県中津市おでかけ
 2025/07/01

夏のはじめ、夕暮れどきに福澤通りを歩くと、あちこちから威勢のよい祇園囃子の稽古の音が聞こえてきます。その福澤通りから、進耳鼻科と丸田屋咸臨堂のあいだの細い道をのぞくと、背の高い不思議な門が見えます。楼門の2階に鐘が吊り下げられている、鐘楼門です。

このお寺、宝蓮坊は関ヶ原の戦いの直後に開かれ、第三世の住職が天皇から聖徳太子像を授かるなど栄えたお寺です(太子像は現在、非公開)。スマホもラジオもない時代、鐘は時報や緊急速報の役目があり、寺は町の防衛拠点でもありました。寺町のいちばん端、音が響きやすい2階の鐘で、城下町の人々に知らせを送っていたのでしょうね。

鐘楼門の斜め向かいには、商売繁盛の神様・えびす様をまつる、蛭子宮が立っています。

商業の町だった昔の中津では、商売の神様・えびす様の信仰が盛んだったようです。

お賽銭箱の位置が高くて、お賽銭を投げ入れるのが、難しい!

鐘楼門と蛭子宮のあいだの道から石畳が始まっていて、つきあたりに『史跡めぐりコース』の看板が見えます。

矢印のほうに進むと、寺町の説明板があります。中津の町は、はじめ黒田官兵衛・細川忠興という有名な武将、その後は徳川家康の血をひく小笠原氏・奥平氏が治めて、それぞれに町を発展させてきました。寺町のお寺にも、それぞれの時代の影響が見られ、宝蓮坊の鐘楼門の鬼瓦には、小笠原氏の家紋(ひし形を3つ重ねた紋)が見えます。(中津に最初の祇園車を導入したのが小笠原氏です)

石畳をさらに進むと、宝蓮坊の北側の門、太子門が見えます。

かつて、天皇からいただいた聖徳太子像を安置していたお堂があったことから、太子門と呼ばれています。よーく見ると、軒下に巨大なセミが!! (本物のセミではあり得ない大きさ、、、)

このあとも、松巌寺、合元寺、本傳寺、、、と寺町の石畳は続いていきます。

福澤通りの『Total Bridal Okina』さんなど近隣にゆかたの着付けができるお店もあり、ゆかたで城下町めぐり、なんていかがでしょう。

寺町通り

名称
寺町通り
住所
中津市寺町

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