東 光義 

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諦めなければ道は開く変化し続けてきた30年
東 光義

有限会社ファミリーフードサービス・株式会社山海 代表取締役 東 光義

 日田で30年以上ファーストフード店として高い人気を誇る「ハンドメイドキッチンOJ」、五感を重視した癒しのレストランとして県外からも多くのお客様が訪れる「ゲストハウス 山海」を運営する「株式会社 山海」。東社長は、「夢や希望を持ち続けることが大事」と社会人をスタートさせる学生へ向けて、今まで培ってきた経験や経営者としての思いを講演を通して伝えています。  25歳のとき「事業をやりたい」と仕事をしながらの多忙な毎日の中、松下経営や日本マンパワーで経営学の勉強を始めた東社長。このとき「30歳の誕生日で会社を辞めようと決めていた」と話します。退社後、東京、大阪、沖縄で「10年先の日本のビジネスはどうなっているか」と大手の会社を訪ねてまわりました。その活動の中で、ハワイホノルル銀行の頭取ジェームス・M・モリタ氏と出会い、東社長のハンバーガー店経営への第一歩が始まりました。当時世界に約1,000店舗あった「オレンジジュリアス」を3年間で25店舗国内に出店し、昭和56年に九州1号店を日田にオープンしました。その1年後「オレンジキッド」として大分県内に4店舗、さらに「ダンキンドーナツ」を5店舗展開し、事業を確立させますが、1年半かけて9店舗のうち8店舗を閉店してしまいます。「スタッフが昼夜問わず働いて苦労するのは自分の思い描いていた経営の形ではなかった」と当時を振り返って話す東社長。店舗展開ではなく、まずはお店の中をよく見て、お客様のニーズにあったサービスを考えはじめ、ランチセットやデリバリーを始めました。その画期的なサービスを学ぼうと大手のチェーン店がオレンジキッドに視察に来ていたそうです。  「現在は自分の思う経営に近づいてきている」と東社長が話すとおり、「ハンドメイドキッチンOJ」、「株式会社山海」は約60名のスタッフと共に発展し続けています。スタッフ全員が楽しく働ける環境づくりを行い、年に一度全員で海外研修に行き、スタッフ自身の成長も考えた経営を行っています。また、「ハンドメイドキッチンOJ」は福岡市への出店に向けて現在準備が進んでいます。  「社会に出て退職するまでの期間は約2万日しかありません。今まで10年単位で、見直しをしたり、新しいことを始めようと取り組んできました。夢やビジョンを数値化するという具体的で強い意志を持ち続けることが必ず実現へつながると信じています」と東社長は話します。次の10年を見据えるグループの挑戦はこれからも続きます。

ひがし みつよし

東 光義 

東 光義 

昭和55年に松下電器の販社を退職後、さまざまな出会いを経てハンバーガーチェーン「オレンジジュリアス」を3年間で青森から九州まで25店舗を出店。昭和56年に「オレンジジュリアス九州1号店」を日田にオープン。その後商標を「オレンジキッド」に変更し、さらに「ダンキンドーナツ」の店舗展開を大分県内で行う。平成16年に商標を「ハンドメイドキッチンOJ」に変更、平成8年に「株式会社山海」を立ち上げ、現在に至る。
(10/9月号smile掲載)

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