山田酒造場

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創業は明治31年 もともとは醤油製造を業いとする地方の地主でもあった
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 豊後高田市は、十世紀前後には仏教文化が栄え、江戸時代は島原藩の飛び地として約3万石の石高、そして港として半島内陸部の物産の集積地としても繁栄した地でもあった。

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この豊かな土地には、明治大正昭和時代、10数軒の酒造業者があったようだが、今残っているのは、この山田酒造場のみ。創業は明治31年。もともとは醤油製造を業いとする地方の地主でもあった山田家が、酒造業を営んでいた親戚に酒造米を供給していたが、その親戚が倒産してしまったので、米代などの代わりとして、蔵を引き受けることになったとか。
山田家の創業者は商売に長けていて、米や酒を宇部市や県南方面へ運んでは換金し、事業拡大のための投資もおしまなかったようだ。この間、事業も順調に進んでいたが、県南方面へ運ぶ酒を満載した帆かけ舟の何隻かが、しけにあい転覆。借金を抱えてしまった。しかし、大正13年に創業者が他界した後、家業を継いだ息子が、先代とは対照的にとても理財家だった事も幸いした。2代目が酒造りを始めた頃は、日露戦争に勝利し、第一次世界大戦で連合国の一員であったことからも日本は好景気だったようだ。借金返済のために年に2回も酒造りを行ったこともある。
しかし、その後、第二次世界大戦が勃発し、苦しい統制経済の時代に突入していく。戦中、戦後は、酒造場にとっても大変な時代だったようだ。大変な時代を乗り越え、山田の蔵は3代目敬之助が26歳だった昭和28年に独立した。だが、他の酒造業は、昭和35年頃、他業に移行したり、財産税の徴収のために譲渡廃業するなどし、この豊後高田市では、山田蔵の「豊の関」のみが残ることになった。
激しい時代の流れの中で生き残ってきたこの山田の酒蔵には、酒本来の旨さはもちろんのこと、歴史を垣間見ることができるようなものが、たくさん残っており、蔵全体が、100年の歴史そのもののように感じる。

やまだしゅぞうじょう

山田酒造場

山田酒造場

一升瓶がなかった頃、枡や入れ物を持参し、量り売りでお酒を買っていたとか。 その当時使われていた陶器製の酒樽。



(08/11月号smile掲載)

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