当時は化石燃料で作られたものが少なかった時代で、
紙で作られたものが多く使われていた。

明治20年、紙屋として創業した保居堂。当時は化石燃料で作られたものが少なかった時代で、紙で作られたものが多く使われていた。例えば、家屋の必需品だった襖や障子、屏風、そして日常品としての習字用半紙など。昔、この近辺には5軒もの紙屋さんが栄えていた事からも、紙の必要性が想像できる。中でも、この保居堂は、小売をはじめ、国東半島一円の店にも紙類を卸していたという。その商売の大きさは、問屋や商店から、有力取引先である保居堂へと贈られた保管庫や時計などでも計り知れる。例えば、西日本一の文具問屋澤井商店から創立100周年記念として贈られた、伊藤喜商店(現イトーキ)製の銅製の保管庫。厚い銅版で作られた高価なもので、当時の売れ筋商品「ムッソリーニペン」や、「ほんとのクレパス(現サクラクレパス)」というプレートも貼られており、時代も感じられる。そして、紙業の盛んだった四国でも知名度と実績ともに群を抜いていた大問屋、仁野勝造商店から送られた時計は今も現役で時を告げている。
しかし、名実ともに大きなこの店にも、戦争や時代の流れは影響を及ぼしてきたようだ。戦時中は、宇佐航空隊の御用達に指定され、糸なども納品していたとか。さらに、戦後の欧米化による生活様式の変化は事業内容を変える事を余儀なくさせたようだ。洋風家屋が増えた事、量販店で襖紙なども取り扱うようになった事。そして、筆から万年筆にかわり、キャラクター物の鉛筆や定規などの雑貨物の取り扱いが増え、今では事務用機械や事務用文具が販売の主体となっている。
しかし、時代や生活様式の変化によりその形は変っても、古代エジプト文明以来続いているという紙と人間との歴史は古く強いものだと、この店が、教えてくれたように感じた。

























