水島畳工場

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4代にわたり百年以上も畳を作り続けてきた。
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フランスでは、日本人や、日本らしい事を言う時、「たたみぜ」という言葉を使う。その日本のイメージを背負っている畳。
この水島畳工場は、明治初期に初代峰次郎が創業して以来、4代にわたり百年以上も畳を作り続けてきた。
畳とは、芯材にあたる畳床と、その畳床を包む畳表、そして(琉球畳以外は)畳縁でできている。 畳は、縄文弥生時代に原型ができ、室町時代の天皇家で使われた事で確立し、日本家屋の必需品であった。
米を主食としてきた日本には、稲が多くあったので、その稲藁を利用して畳床を作ってきた。そして雨期には湿気を吸って、冬には湿気を出す“い草”を畳表に使う事で、春夏秋冬という温度差、雨期乾季でも快適な住環境を提供してくれている畳は、まさに、日本の風土に最適なものだった。
その畳に、今、大きな変化がおきている。畳を使う家が減ったのだ。理由は、椅子やベッドを使う欧米化の家が増えた事、クーラーの使用が増えて年中均一の温度や湿度が保てるようになった事、そして、自然素材のい草へのアレルギーがある人が増えた事、そして、畳床に適した藁やい草などの素材が少なくなった事など。今では、い草の替りに、和紙や木の繊維でできた畳表も開発され、畳床も藁の替わりに加工品が使用されているものも多いという。
時代の流れで、素材や作り方はかわってはいるが、今もなお、日本人のDNAの一部とも言えそうなほど、日本人たる畳を、大粒の汗を流しながら作り続けているご主人は、日本人の本質を、畳を通して理解している一人ではないだろうか。
時代という急流に負けない大きな岩の影には、多くの魚が生息するように、この畳工場には、日本人の心地よい何かが、多く残っているように感じられる。

みずしまたたみこうむてん

水島畳工場

水島畳工場

左:糸を締める道具 中:畳床や畳表を切る道具 右:畳のヘリの幅を決める道具
(08/8月号smile掲載)

注意

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