
明治維新後の廃藩置県により中津藩の武士達は、他藩と同じく、石高に相当した額のいわゆる退職金を手にした。
そのお金で、あるものは商売の基盤をつくり、あるものは専門職としての知識を身につけるべく学んだようだ。
この和田写真館の先代は、後者を選び、当時イギリス領だった香港で写真を学んだ。
「それなりに力を持った人は、医学に進んだり、福沢先生を頼って慶應に入塾して実学を学んだ様ですが、そうでない人は富国強兵のもと北海道へ行くか、写真師になるしかなかったようですよ」と、3代目は謙遜する。
しかし、当時、薬品を溶いてフィルムを作る必要があった写真は、科学の一種で高い知識が必要だったに違いない。
創業は、明治28年。先代を含む4名の写真師で業務に関する規約より、良い仕事をする為の協定「中津写真同業会」を発足させた。
創業時は日清・日露戦争と続く時代で出征する人々の写真であったり、威風堂々とした家長の肖像写真、家族写真が主な仕事であった。その後記録としての写真の特徴をいかし新聞に掲載する報道写真なども手がけるようになった。
当時、カメラは数えるほどしかなく、撮影できる新聞記者がいなかったのだ。そして、昭和、平成とカメラの大きさも機能も様変わりした。30cm近くあったフィルムは小さくなり、今ではフィルムも必要ないデジカメという変貌ぶりだ。
しかし、携帯電話で写真を撮れる今でも、フィルムが必要なカメラで撮影するというスタイルは変えられないという。
「長年写真を撮っていますが、今でもシャッターを切る時は息を止めていますね。今しかない貴重な一瞬をいかに撮影するべきか考えて緊張してしまいます。」と3代目。
確かに、3代目が撮影した写真には、ふんわりとした空気感のような温かみや優しさが感じられる。
これこそが、撮り直しが効かないプロの仕事の根底なのかもしれない。
時代が変わっても、和田写真館のプロの血は受け継がれていくに違いない。

























