「DNAがそうさせたのですね」と、5代目目利きははにかむ。
江戸中期以来、呉服や織物の問屋が多く賑やかだった博多町。
武内陶器店が、その博多町に店を構えたのが1838年、今から170年も昔のことだ。その当時は、電気もガスも車もなかった江戸時代。
創業当時の商いは、生活に必要な雑器や鉢が中心で、有田や美濃などの産地から仕入れて船で運び、船場町に荷揚げされた。
仕入れ時や商品につける目印や暗号としては、数字の役割をする記号が使われた。
それは、符丁(ふちょう)といい、安易に数字を使わない古き日本人の心配りだったのかもしれない。
その後、荷揚げされる港は船場から国東へと変ったが、符丁や海運は5代目店主が修行中だった約30年前まで続けられたという。
各々の陶器店が各産地から見極めた品を直に仕入れるという取引が変ったのは、問屋が作られ、容易に仕入れができるようになったこと。
少ない荷物でも、早く、安全に、安く運んでくれる宅配業者が増えたことが影響したようだ。
多くの陶器店はその時点で、今後の商売の道を選択せざるをえなくなった。例えば、この武内陶器店には、3つの選択肢があったという。
1つ目は衛生陶器の代理店になる事、2つ目は、他の陶器店と一緒に組んで問屋業を行う事。
3つ目は、170年続けてきた商いを変えない事。この武内陶器店は、本来の売り方、つまり、自ら商品を見極め、目利きして仕入れ、適切な価格で商品を売ることを選んだ。
「DNAがそうさせたのですね」と、5代目目利き(店主)ははにかむ。
土地や川といった自然環境でさえ変りそうな170年という長い時間でも、全てを巻き込むような激しい流れの中でさえも、商売の本質を変えない、変えられない、凛とした姿勢が眩しく見えた。

























