百年の歳月を経て、今尚残る往時の理念。
1904年(明治35年)に初代中島謙吾氏により創業された。
謙吾氏の旧姓は、河野。四国を根拠とする河野水軍の末裔で、安心院に生まれ、長じてからは京都で漆塗りの仕事を覚えたという。その後、中津で中島の家を継ぐことになったのが始まりで、祇園車の山車も作っていたそうだ。
戦前、工場には木地職人から塗り職人まで10名ほどが揃っており、製造分野でも大きな存在だったに違いない。
しかし、太平洋戦争の影響で職人が減り、戦後は製造が難しくなったが、二代目中島五郎氏が、本業である佛壇小売に熱心に取り組み、佛壇店を大きく発展させた。
佛壇店を3店舗まで拡大し、飛行機から売り出しの宣伝をするなど工夫に満ちた仕事をこなしていた。五郎氏は一方では信仰が深く、在俗者として本願寺派の宗議会副議長まで務めるほどだったとか。
4代目で現社長の宏一郎氏は、若くして社長に就任し、本来の佛壇に加え、オリジナル性の高い香道具や寺院仏具の開発にも力を入れている。現社長のフットワークの良さも加わって、そのアイディアは中津の外にも良い影響を及ぼしているようだ。
宏一郎氏はその一方で、浄土真宗本願寺派仏教青年連盟中央委員長という重要な役目も担っており、店内には、つい長居をしてしまいそうな居心地の良い空気がある。
創業以来、その時代に必要とされる仕事を提供しながら、さらに、地元や人々との心のつながりを大切にしてきた中島家の人々が織り成す空気感なのだろうと感じる。

























