宇佐屋

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当時、この1枡にお米を入れて計量していた。 関西の米穀王と称されたこの会社で、この枡は、さぞや大活躍したに違いない。
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 初代佐藤寅二氏が本家の屋号を継承して米穀商を始めたのが、明治25年。
今から百年余り前のことである。

しかし、中津市内に残っている古文書などから見ると約280年前には、既に宇佐屋が存在していたらしい。
例えば、1744年、中津祇園の時、豊後町が影向楽を奉納していて、その時の楽人の中に宇佐屋虎松氏、伊兵衛氏の名が記されている。
郷土史家は、祖先が宇佐から出たので「宇佐屋」を名乗ったのではと諸説をたてている。
この頃の中津は、奥平十万石の城下町として栄え、一番の主要道路は豊後町から蛎瀬に抜け、その後、順を追って南部が発展していった。
主要道路は殿町から新博多町、東本町を遮る旧国道に移っていき、昭和36年に国道10号線(現在の213号線)が開通し交通網が大きく変化する事になる。
主要道路の推移から中津の繁栄が感じられる。
同じように、この宇佐屋は、江戸末期までは豊後町、初代宇佐屋社長が商売を始めたのは新博多町、そして枝町に本店、精米所は宮島町と移転を重ねている。
2代目社長は、社屋を一ツ松の国道10号線(現在の213号線)沿いに移転した。
商売の内容は、当時、東九州の玄関口であり、交通の要衝である中津を中心に石油の販売網を敷いていた大阪の三井物産の社員から気に入られた豊前米(宇佐米)を京阪神に移出する米穀商。
戦後は、肥料や飼料、セメント、建築資材などと広がり、現在の基盤を作っていった。
商売内容はもちろんのこと、常に時代背景に合わせた移転を繰り返してきた「宇佐屋」。
現代で、当時の中津の時代背景を読み取る事が出来るのも、古い歴史を持つ企業のおかげかもしれない。

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宇佐屋

(08/1月号smile掲載)

注意

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