平尾 誠二

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記録を塗り替えた天才的ラガーマン 「平尾誠二」コーチングもブリリアント

英国では長距離用のバスのことコーチといい、目的地まで運ぶという意味がある。 つまり目標に向かって導くのがコーチの役目。

しかし、そのコーチの仕方も昔とは随分変わった。 怒られても歯向ってくる精神、体内の反発係数が多かった昔と違って今は怒ると生徒達はシュンとなってしまう。

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だから教え方をかえなければいけない。 自信喪失したら払拭できる人が少ないのでやさしくアドバイスしてあげて続けさせ自信をつけさせる事が必要。

アドバイスをする上で大切な事は。
①たくさんの事を言わない。まず一つだけ。
②言う事は、その人が全力を注いだらできる事で、できない事は言わない。
③その人ができたらお礼を言って来る。そしてもう一度話しを聞きたがり、感謝される。できると楽しくなり「やる気」も育ってくる。

―コーチングのお話ありがとうございました。コーチングされる側の人々としては、例えば職場ではどのような事が必要だと思われますか?

平尾  やらされ感が強い人が多いようですが、職場が「やらなきゃいけない事をしなきゃいけない場」というのも悲しい。
それをおもしろくしていくのが大切ですね。
やらされ感が払拭できない人は、自分の中で少なくとも、 「こういう風にやりたい」と自分なりにアイデアや感じ方をかえるといいのでは?そして少し行動する。
そうしたら、ちょっと面白みが増す。
それはなぜかというと自分ができなかった事ができるようになり、面白くなるから。そして回りの人が「できるんだ」と誉めてくれ、自分にかえってくる。
さらに 自分の変化とともに回りの人も変わってくる。 
それで自分も快感を感じ、面白味につながっていくんですよ。
これは、自分で変化をもちこまないと進歩がない。仕方ない事は、悩んでいても仕方ない。
悩んでいても時間がもったいないから自分で改善をしていくのが必要ですよね。

―例えば、スポーツをするのも自分の考えをかえるきっかけになりますか?

平尾  スポーツは自分の好きなことをやればいいので、うまくなりたければ練習すればいいという単純なこと。上手くなれば練習し、さらにプロになるとかの目標もでてくる。
自分で改善していけばいいんですよ。改善と言う意味では似ていますが。どっちみちやらなきゃいけないなら、自分でそういう気持ちにもっていかないとね。

―今後どのような事をしていきますか?

平尾  自分は好きな事しかしない。それが一番うまいこといく方法ですし。

―何をしている時が好きですか?

平尾   寝ている時です(笑)。冗談ですが。
ラグビーが好きですね。やはり。

―平尾さんにとってのラグビーとは何ですか?

平尾  楽しみです。
考えていて一番おもしろい事、もうやってないから過去ですが、やっていても一番おもしろい事です。
今はやってておもしろいことはゴルフですね。うまくないけど時々やるのは面白く楽しむ程度かな。

―もしラグビーをやっていなかったら?

平尾  考えたことない。
ラグビーは自分の使命だと思ってる。
よく聞かれるんですが、考えられないとしか答えようがないですね。
いい意味でも悪い意味でも今、こういう形でたまたまラグビーに出会い、それにのめりこんだ。そして考える時間も多かったし、うまくいった。

―神戸製鋼ラグビー部は長時間の練習をしないと言われていますが

平尾  誤解する人が多いんですよ。
例えば1時間練習するために5時間考えた。
そういう事でいえば目に見える時間だけでないし、みんなで集まる時間はそれほど長くなくていい。
だって自分がすることがわかっていて、1時間半のシュミレーションがばっちりできていればそれでいい。
どんだけやってもラグビーは1時間半という競技なので。

 

現役時代に、実際に平尾さんの試合を観た事があり、他の選手とは違う全体と先を見た動きをされていた平尾さんの頭の良さや考え方を、この講演とインタビューで垣間見えたようで清清しい気持ちになった。

 

ひらお せいじ

平尾 誠二

平尾 誠二

1963年京都市生まれ。 神戸製鋼ラグビー部ゼネラルマネジャー兼総監督 元 ラグビー日本代表監督 伏見工業高校3年の時、全国優勝。 同志社大学でバックスプレーヤ−としての天才的なプレーが注目され、1982年史上最年少で日本代表に選ばれた。 大学選手権史上初3連覇の原動力となり1986年英国リッチモンドへラグビー留学。 1987年神戸製鋼に入社し1988〜91年には主将を務め、1994年社会人選手権V7を達成、元年からは日本選手権7連覇。その間、1991年W杯で日本代表主将を務め97年には第一線から引退。 キャップ数は35で歴代2位。そして神戸製鋼ラグビー部でラグビー界初のゼネラルマネージャー(GM)となる。 又、史上最年少で日本代表監督に就任し、ラグビーリム選手権では11年ぶりにカナダをくだし、監督として国内初戦を初勝利で飾った。 同年、同志社大学大学院総合政策科学科に入学。1998年W杯アジア地区最終予選で全勝1位となり、4大会連続W杯出場を決めた。 1999年ラグビーリム選手権で日本代表を初勝利に導き2000年アジア選手権5連覇。 同年11月代表監督を退任後、「スポーツ・コミュニティ・アンド・インテリジェンス機構(SCXI)」を旗揚げしスポーツと地域社会の振興を図る。
(07/4月号smile掲載)

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