イラスト・矢野想子
女性と云うものは、翳りのある男が好きである。翳りには、女性の母性本能をくすぐる憂いがある。日本の俳優の中で、最高の憂いを持つのが森雅之である。その憂いは何処から来ているのか。 5歳で母を亡くし、12歳で父有島武郎(白樺派の小説家)を亡くしている。とくに父の死に方は人妻波多野秋子との縊死心中にて、世間から非常に猟奇的な目で見られた。多感な少年の心に、重い影を宿した事と読む。 そのせいか、その横顔に知性的薄情さと、優柔不断さが垣間見え、暗い表情の役どころが似合う。 「羅生門」(黒澤明監督)での、女房を眼前で犯される寡黙な武士金沢武弘役、「雨月物語」(溝口健二監督)での、蛇の精京マチ子におぼれ、ほうほうの体で故郷に戻れば恋女房田中絹代はすでにこの世のものではなく、最も大切なものを失くした情けない夫。「こころ」(市川昆監督)での先生役、「おとうと」(同)での幸田露伴役、「太平洋ひとりぼっち」(同)での裕次郎の父親役、すべて演技をしていない演技、つまり「無演技力」でリアリティを出す。これが出来そうで中々並みの役者では出来ないのである。 「風船」(川島雄三監督)での正しく誠実な男の役、「女が階段を上る時」(成瀬巳喜男監督)での不誠実な男。正反対の男像を同線上で淡々と演じてくる。稜線の無い、ぼかしの演技が見事である。 彼の最高峰映画は、「浮雲」(成瀬巳喜男監督)であろう。私は日本一の映画としている。高峰秀子との腐れ縁のお話である。森も、高峰も、この映画で押しも押されもせぬ日本を代表する名優の域に到達した。とくに森の、女房(中北千枝子)にも無責任で、愛人高峰にもどこか邪険で、若い愛人(岡田茉莉子)にもいい加減。いわゆる女にはもてるが甲斐性と責任感の無い、インテリの頽廃さを見事に真演した。父有島武郎も別に波多野女史に惚れて心中したわけではない。脳裏の一角に父を置いて、演技したのではないかと想像する。1973年、62歳で彼岸に渡った。男の色気のある役者だった。

























