コラム

スマイル / ◎第1話 田中絹代

生誕100年、死ぬが死ぬまで役者だった。
田中絹代

イラスト・矢野想子

今年、田中絹代の生誕100年である。これを書くにあたり、田中さんのお墓参りに行ってきた。場所は北鎌倉円覚寺、横須賀線北鎌倉駅は円覚寺の境内の中にある。山門を入り、まっすぐ本堂に向かう、本堂の左側の道をしばし行くと、左に「松嶺院」という塔頭がある。門をくぐって直ぐを、左の塀沿いに進むと石段があり、その上りきったところにこじんまりとした墓地がある。この中ほどに大女優のお墓がある。楕円形の大きな墓石ゆえにすぐに判明する。しかも墓石には田中さんのお顔がレリーフされている。 鎌倉にご旅行の節はぜひお参りあれ、旅の良い思い出となること請け合い。因みに、すぐそばには作家開高健さんの、大きな岩をドンと置いたお墓もあり、これまたすぐに判明する。 田中は1909年、明治42年、下関の生まれ。 裕福な呉服商の家に生まれたが、三歳で父を亡くし、多くを番頭に持ち逃げされ、一家困窮の暮らしとなる。続けて、兄が兵役忌避をしたことから下関に居ずらくなり、八歳で大阪は天王寺に引越す。すぐに関西少女琵琶団に入り、十四歳で松竹下賀茂撮影所に入る。 さあ、ここから彼女の映画人生が始まったのである。あまりにも代表作が多すぎて、何からご紹介してよいか迷うが、まず「伊豆の踊子」(五所平之助監督)、リメイクが506本あるが、田中版が一等賞である。二十三歳の時の演技であるが、いやーオボコい、まるで1405歳にしか見えない。太鼓を重そうに背負った姿は本当に島から来た世間知らずの田舎娘である。まだトーキーではないが、好演をこえて「巧演」である。 「西鶴一代女」(溝口健二監督)の凄みは唸る。大女優がここまでの汚れ役をやるものか。女が落ちて堕ちていく流転の映画であるが、最終老残夜鷹の成りきりは空前にして絶後の気魄だった。 「雨月物語」(同)での、死しても夫森雅之の帰りを待ち続け、一夜、亡霊となって夫に尽くす。幽明の際を行きつ戻りつの真演だった。 「楢山節考」(木下恵介監督)での、息子高橋貞二を、雪に埋まりながら追い返すシーンは、まさに神懸かっており、思わず手を合わせてしまう。リメイク今村昌平監督版より、私はこちらを買う。 最高峰は、「流れる」(成瀬巳喜男監督)、やはり名女優山田五十鈴との一騎打ち。山田が動で迫れば、田中は静で受け流す。山田の貫禄を悠揚迫らざる柔軟さで包み込んでいる。傾きかけた芸者置屋のお母さんと、住み込み女中のお話。難しい役を見事に巧演した。 日本の大にして名女優、六十五歳の時、「サンダカン八番娼館 望郷」(熊井啓監督)に出演、それから二年後の1977年、六十七歳で今生に別れを告げた。

◎第1話 田中絹代

筆者・矢野寛治
昭和23年(1948年)、中津市生まれ。
中津北高、成蹊大学、博報堂入社。
前福岡コピーライターズクラブ理事長。
コピーライターとしては、霧島酒造キャンペーン、ハウス食品うまかっちゃんキャンペーン、 祐徳薬品パスタイム・キャンペーン、銘菓ひよ子キャンペーン、フランソア・キャンペーン、九州電力キャンペーンを手がける。
西日本新聞紙上に書籍評論、映画評論を多く発表、連載中。
ペンネーム中洲次郎名で、多くのエッセイやコラムを発表している。
著作「ふつうのコピーライター」(宣伝会議社・刊)、「なりきり映画考」(書肆侃侃房・刊)。
広告賞226本受賞。講演多数。福岡在住。
(09/10月号smile掲載)

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