コラム

日本のお父さんである
笠 智衆

イラスト・矢野想子

笠といえば、家業の坊主がいやで、親の意見に背き俳優になった男である。大部屋生活が長く、仕出し通行人を黙々と営々とやっている。 「生まれてはみたけれど」(小津安二郎監督)あたりでも、台詞は一つか二つの端役。まだ役者として成功するかどうかは、この映画では不明である。「一人息子」(同)で、力を発揮する。主演は飯田蝶子と日守新一である。とくに、飯田にとっては、この映画で大女優の域に達したと云っていいだろう。笠は尋常小学校の先生をしていたが、夢を抱いて東京に出るも、挫折し、今はしがないトンカツ屋をやっている設定。人生の勝負に負けた男を滋味深く好演した。 彼の最高作は「父ありき」(同)に極まる。 初の主演作、彼の性格そのままの、篤実で誠実でまっすぐな父親を巧演した。妻を亡くし、息子を男手ひとつで育てる。生徒を修学旅行の水難事故で亡くし、責任を取り、教職を辞する。息子を寮に預け、東京に出て一介のサラリーマンとなる。昔の日本人がもっていた奥ゆかしさ、謙虚さ、正しさを持った父親。息子も負けずに父を誇りとして成長し、父が挫折した教職に着く。父子での鮎つりシーンの、後姿の清清しいこと。この父親像をもって、将来の笠の役柄は決まったといっていい。 「長屋紳士録」(同)では、かの郷里熊本玉名訛りで、茶碗を箸で叩きながら、のぞき節で武男と浪子の不如帰を唄う。笠が唄うシーンはめったに観られません。ぜひ、ご覧ください。 名作「東京物語」(同)、妻東山千栄子を亡くし、最後のシーン、隣の細君高橋とよに云う台詞、「いやぁ、、、気のきかん奴でしたが、こんなことなら、生きとるうちにもっと優しうしといてやりゃアよかったと思いますよ、、、」「一人になると、急に日が永うなりますわい」と、溜息をもらし、ぼんやりと尾道の海を見詰める。 ご同輩、ぜひとも奥方を大切に。どんなにケンカをしても、やはり心を理解してくれるのは奥方しかいませんからね。 1993年3月、名優、88歳で彼岸に渡った。

◎第12話 笠 智衆

昭和23年(1948年)、中津市生まれ。
中津北高、成蹊大学、博報堂入社。
前福岡コピーライターズクラブ理事長。
西日本新聞紙上に書籍評論、映画評論を多く発表、連載中。
ペンネーム中洲次郎名で、多くのエッセイやコラムを発表している。
現在、RKB毎日放送「今日感テレビ」木曜コメンテーターとして出演中。
著作「ふつうのコピーライター」(宣伝会議社・刊)、「なりきり映画考」(書肆侃侃房・刊)。
広告賞226本受賞。講演多数。福岡在住。
(10/9月号smile掲載)

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