夏の伝統行事「祇園祭」が各地で開催されます。日田市では約300年の伝統を誇る「日田祇園祭」。玖珠町では江戸時代に起源をもつ森祇園をはじめ、塚脇祇園
北山田祇園、九重の飾り山が町を練り歩く「玖珠祇園大祭」が開催されます。そこで、祭がさらに楽しくなる、各町の魅力を大特集! 今年の夏は浴衣で祇園の熱い夏を楽しもう!
平成山
平成元年に福岡で開催された「よかトピア」で初めて日田の山鉾を市外に持ち出し、曵き回しを行いました。その頃の山鉾は高さが6〜8メートルでした。「よかトピア」に参加後、「もっと高い山鉾を曵きたいものだ」との声が挙がり、青壮年により実行委員会を立ち上げ平成2年に高さ10メートルの平成山鉾を地元で曵くことができました。その後電線の工事を行い、町内の山鉾も高くなりました。平成6年には京都平安建都1200年祭にも参加し、日田祇園を全国にPRすることができました。日田祇園祭のシンボル的な存在である平成山鉾。絢爛豪華で勇壮な姿を是非ご覧ください。
祇園囃子

日田の祇園囃子は、一基に笛4名、太鼓1名、三味線1名で構成され主旋律は主に笛が受け持ちます。使用される笛は節の長い篠竹を使い、全て手作りで作られています。独特の調子は江戸末期に当時の俗曲や端唄を祭囃子に創作されたもので、現在でも50数曲が残っており、日田祇園囃子保存会の手によって、保存・伝承が続けられています。山鉾に乗るまでには最低でも5年位の練習期間が必要です。祭の初日は落ち着いた三下がりの調子の曲を中心に演奏し、2日目には陽気な二上がりの曲を演奏します。日田祇園にかかせない、日田独特の美しい音色を山鉾の壮大さと一緒にお楽しみください。
大和町
江戸時代から引継がれた山鉾を明治45年7月に電灯開設に伴い解体し、当時の町並みに応じた山鉾を建造、今日まで約100年間、日田祇園の歴史と伝統を守り続けた最も由緒ある大和町山鉾です。その山鉾も今年の祇園祭を最後に勇退を決め、来年は復元新調する山鉾を披露することになります。特に今年は、現山鉾と同時に新調した豪華絢爛の見送り・水引きを付け、先人が残した偉業を偲びながら、若者達の熱気溢れる祇園祭にしようと取り組んでいます。歴史が漂う大和町山鉾の勇姿を是非ご覧下さい。
三隈町
日田祇園発祥時より参加している三隈町は温泉旅館街周辺の2つの町により構成されています。現在の山鉾は平成19年新調の山鉾ですが前山鉾の伝統を受継ぎ、少数精鋭で力や知恵を出し合い山鉾を奉納しています。提灯山も美しく、遠くから三隈町とわかる姿を夜空に映し出し、幻想的な空間となります。祭りの最後を飾る晩山札の辻入直前の、一瞬周りの音が消えた様な緊張感、逆にその後札の辻での盛り上がりは必見です。氏子の神事や巡行に対する姿勢、運行を指揮する山鉾押えと舵をとる棒鼻と後押しの絶妙な連携も見どころです。
川原町

川原町山鉾は昨年に国・県・市の補助を受け新築しました。山鉾本体の高さは9.6メートル、総高さは11メートルと一段と豪華絢爛になり、前後左右の貼り出しに差異を付け男性的な立体感を出すと共に、三重塔を全面に添え付け、中央部を細く括れを強調し女性的な優雅さを表現しています。また岩や瀧等は昔から伝わる竹と和紙で作られています。それらにより川原町が理想とする明治から昭和初期にかけての山鉾に近づいています。川原町の見送りは「素盞鳴の尊大蛇退治」で唯一人物が描かれていて、動物画の多い見送りの中で貴重品となっています。
若宮町
昭和12年から途絶えていた若宮祇園山鉾を昭和54年に復活させ、今年で31年目を迎えます。先輩から後輩への継承を積み重ねてきた山鉾には、制作に携わった地元の振興会や老人クラブ、子供たちの気持ちが込められています。次世代へ引き継ぐ活動を積極的に続けている若宮町祇園は、子どもからお年寄りまで全員が一丸となって祇園に取り組んでいて、勢いも迫力も圧倒されるものがあります。その勢いを表している唐獅子の見送り幕にも注目してください。
豆田上町
無電柱の町、豆田の古い町並みを、囃子方の生演奏に合わせて曵き回します。花月川にかかる一新橋と御幸橋を周回するときに、晩山の提灯の明りが川面に映え、祇園囃子の響きと相まって、江戸時代にタイムスリップしたような幻想的な雰囲気に包まれます。上町の山鉾は、隈・若宮地区に比べると高さは低いですが、急発進や急停止などに耐えられる構造なので、「しぼり(早駆け)」や「がぶり」など、迫力のある勇壮な曵き回しを見ることができます。また、上町の法被は上町出身の、文化功労者・故岩澤重夫画伯によるもので、鳩を主題にした新鮮なデザインも見どころです。
豆田下町
平成20年に復興20周年の記念行事を大々的に開催した、豆田下町の山鉾。横幅は2メートル50センチ、車輪の直径が90センチにもなり、市内でも最大級の山鉾となりました。下町は町内の世帯数が豆田町では、もっとも少ないですが、八坂神社のある町として、山鉾にかける思いは強いものです。今年は中城町の電線のかさ上げ工事が完了したので、晩山の提灯がより高いところに取り付けられます。迫力のある曵き回しと、美しい見送り幕も必見です。
中城町

中城町の山鉾の見どころは、1849年(嘉永2年)制作の“玄武”という見送り幕。ラシャ地に金や銀を溶かした金糸や銀糸を用い、玄武を刺繍した幕です。今年で162年目を迎えるこの見送り幕は、日田祇園の伝統を引き継ぐものとして、中城町で大切に保管されています。さらに、電線の高さに応じて、山鉾の高さを5.5〜8メートルに可動できるのも、この山鉾の特徴です。伝統を受け継ぐ美しい見送り幕と躍動的な曵き回しを是非ご覧ください。
港町
100年以上経った見送り幕・水引幕を復元・新調し、今年は装いも新たに運行します。水引幕とは、山鉾を取り囲むように飾られた横幕のことで、見送り幕と対になっているものです。祭礼中は新旧幕を展示しているので、是非ご覧下さい。また、山鉾の両脇に飾られたパイパイや500本の花が山鉾を華やかに彩ります。パイパイは祭りが終わると厄除けとして玄関口に飾られます。今年も色彩鮮やかに、港町の山鉾が豆田の町を駆け抜けます。
森
森祇園は、森町末廣神社境内八雲社の祭礼として無病息災と五穀豊穣を祈願し行われます。始まりは定かではありませんが、文化元年(1804年)に「祇園祭における着物はどのようなものを着たら良いか」を森藩主に尋ねており、例年通りと指示された記述が森藩記録書抜帳(玖珠町教育委員会所蔵)に記されており、その事からそれ以前より行われていたようです。現在の祇園車は、明治23年頃に豊前宇島魚町の瀧川房蔵氏によって建造されたものですが、平成3年の台風19号により壊滅的な被害を受け平成7年に台輪・偏額・正面の龍の彫刻を残し再建しました。現在、保存会によって昭和23年に建造されたもう一台の祇園車を復興中です。
塚脇
祇園の開催頃は不明ですが、初代の山車は、中津の京町より明治22年頃に森祇園が購入し、その山車を明治41年頃塚脇が購入しました。この山車は通称虎山といい、浄瑠璃に見事な虎の彫り物があったことから「虎山車」とよばれ親しまれたようです。現在巡行している山車は2代目で、中津の新博多町より昭和5年に購入したものです。購入にあたって、この当時全戸から引切り銭(現代で言えば日掛け)を取り立てて購入資金に充てたそうです。塚脇の気風と無病息災、先代の心意気はしっかりと若者たちに受け継がれ、現代でも塚脇祇園は活気づいています。
北山田
中津の諸町から購入し使用されていた森祇園の山車を、大正6年頃に購入したものが、北山田初代の山車です。当時の街並は平川中心にあり「平川祇園」と呼ばれていました。戦後、北山田商工会で祇園山車の復活を図り、山車が平川・滝の原地区を巡行することになり、「北山田祇園」と呼称するようになりました。昭和26年、森南部商工会により建造され、昭和41年に商工会北山田支部が購入。平成17年に一部修繕が行われ、平成20年より北山田祇園山車振興会として装いも新たに今年も巡行します。
下旦
江戸時代に疫病が流行し、文久2年豊前今井(現在の行橋市)にある今井神社の分霊を勧請し疫病を沈めるために始まりました。毎年昔話などの一場面をとった外題を決め、その場面に合わせた三体の人形が、花とともに飾り付けられます。先輩から後輩へと手作りの技法が、代々守り伝えられてます。竹紙笛、鉦、大・小太鼓から編成された囃子は玖珠郡内では独特のものです。巡行に囃されるのは、出囃子に「シャギリ」、道囃子には「立山」「十日戌」「ぼんさん忍ぶ」などがあります。7月17日には地元だけの祇園の祭が開催され、今年は2年ぶりに玖珠祇園大祭への参加となります。
























