古魚町
練りこむ姿は勇壮そのもので、最大の見どころですが、古魚町は、福沢通りに位置し、通りも広いので、町内踊りの日も勇壮な走りこみや艶やかな踊り、そして華やかな祇園車を見ることができます。その古魚町の祇園車は、大正10年に、滋賀県長浜市の曳き山を参考にして建造されたニ階建ての車です。正面の屋根の上には鯱、正面懸魚には鳳凰、そして、腰板には町内にある「えびす宮」の祭りの際の福笹の飾りがモチーフとして飾られています。ニ階部は、入母屋式造りという伝統的な日本家屋や寺などの屋根に使われる造り。これは、中津祇園の他の祇園車には見られない型なので、一度ご覧になってはいかがですか。今年から代わった若い総代のもとで、みんなで力を合わせて頑張る、その雄姿も必見です。
古博多町
古博多町の祇園車は、蓬莱館などを建築したことで中津の名匠と言われた加来政市氏が明治28年に建造しました。その当時、中津祇園において初めての二階建の車で、上祇園の中でも最もバランスの良い車です。戦争中、金物が没収された時も町内の人々は団結して、祇園車の鉦を守り抜きました。だから、この車には宝永7年や安政2年に作られた鉦が残っています。しかも、300年以上もの長きにわたって現役として活躍しているそうです。その鉦を打つのが、小学生から中学生の子供たち。古から続く鉦の音を元気一杯に奏でてくれます。そして、前綱の先頭で、元気良く声を出すなどして、町の引き立て役もしてくれる重要な存在でもあります。子供たちの奏でる鉦の音に、悠久の時を感じてみてはいかがですか。
京町
京町の自慢は、練り込みの際、大きくダイナミックに練る事。波の彫刻が施された台輪は新調され、練り込みの時に色鮮やかに綺麗に見えます。また、祇園車正面の懸魚には鷲と猿の彫刻、浄瑠璃には龍と大鷲の彫刻、鬼板に中津祇園唯一の獅子噛の彫刻が施されている可倒式の祇園車です。京町では、宮総代松本氏が思い描く「老若男女、全員が楽しむ祇園」のために、一致団結した町内づくりをしています。チキリンコン・チキリンコンと祇園囃子の練習の音が聞こえてくると、大人も子供も血が騒ぎ、祇園までのカウントダウンが始まります。また、祇園当日を成功させるために、夕方から夜遅くまで手にマメを作りながら必死に祇園囃子を練習。今年は、車付責任者が守口氏に替り、観客にも楽しみと驚き、感動できるようなサプライズも考案しているそうなので、お楽しみに。
諸町
現在の車は明治24年に建造され、江戸時代から3代目。これは町内在住の職人の手によって建造された可倒式の車で、正面欄間には昇天玉龍、左右欄間には竹林とニ虎の彫刻が施されています。中欄間に雲海の鶴があるのが特徴で、扇額には「諸町」と彫りこまれています。この諸町の祇園は、皆が参加して、皆で動かす祇園です。車の組み立てや解体はもちろんのこと、修理や手入れまでも諸町に携わる人達の手によって行われます。また、祭りの間は、町内の女性たちの手作りの炊き出しを皆で食べます。山車の綱には、子供や女性、年長者が付きます。男の子は、手にマメを作るほど練習してお囃子を鳴らし、女の子は、何カ月間も練習した日本舞踊を披露します。町内の皆に守られて動かされる諸町の祇園車。誇らしげに重くゆっくりと進む姿をご覧ください。
新博多町
新博多町は昭和5年に総町内で新造を決議し、当時の新築家屋約5軒分に相当する総費用4823円80銭で建造しました。翌年には白木の状態まで建造され、昭和7年に塗りも完成。2代目の車は玖珠の塚脇祇園に300円で売却されました。現代の車は3代目で2階は京都祇園の影響を最もうけたと言われる神殿造り風の切妻式で破風に金箔を使用して丸みを持たせています。新博多町の車の高さは504cmと、全町内の中で一番高く、車の幅は281cmと全町内の中で2番目に広さを誇る大きな車です。三方欄間には龍、格天井には祇園車には珍しい鳩、軒先彫刻は鳳凰が描かれています。引き出し方式だった踊り舞台は、現在は固定になっています。優雅な新博多町の祇園車をご覧ください。
殿町

殿町の祇園車は、大正年間に建造された祇園車です。祇園車の自慢できるところは彫刻です。他町の祇園車と比べて彫刻の数が多く、大型で彫りが深い重厚な造りとなっています。特に格天井、浄瑠璃棚、鳳凰などには建造当時の繁栄ぶりがうかがえる豪華さがあります。また、祇園車の塗りは総漆で約10年前に建造当時の姿へ復元しました。町内の宝物なのでとても大切に扱っています。殿町は総代を筆頭に、壮年、青年、子供と全ての年代が祭りに関わっています。その中で子供たちは小さいころから、曳き手、鉦打ち、踊り子といろいろな部分で活躍しています。子供たちに殿町のことを聞くと「殿町が好き」「殿町が一番」といった答えが返ってきます。子供たちは自分の町内が好きで、やがて大人になり次世代を担ってゆく。祇園はこのようにして引き継がれ、現在に至っています。みなさん、中津祇園にいらした際は、是非、殿町の祇園を見てください。
片端町

明治16年、初代車を建造し上祇園に参入した片端町。一階車だったこの初代車は、明治28年に豊前市八屋祇園「下町」に売却されました。そして、2代目の車が建造され、昭和3年に改築。この車が、現在活躍している祇園車です。大工棟梁として佐甲光造氏、塗師として増田利夫氏が腕をふるったこの車。欄間は黒龍、腰板は麒麟の透かし彫り、後部軒下は白鶴と仙人の彫刻が施されており、殿町の祇園車と兄弟車と言われています。片端町の祇園車の特徴は、京都風装飾金具を大量に使用した「仏壇づくり」。その重量感のある祇園車での、可愛い踊り子による舞踏や、初代車の鉦を現在でも大切に使用しているのも自慢です。練り込みでは、一致団結した曳き手と重量感のある祇園車が走る姿は、勇壮華麗です。
新魚町
新魚町は他の町内と違い、中津神社の御神輿を担いで御巡幸を行います。過去には担ぎ手不足から、台車の上に御神輿を載せて御巡幸をするといった時代もありましたが、青年会の発足に伴って熱意ある有志が年々増え、担いで御巡幸が出来るようになりました。見所は何といっても土曜と日曜日の夜8時半から中津神社内で差し上げる時の通り抜け。これから赤ちゃんが誕生する御夫婦や末長い健康を願いながら御神体に入っている神輿の下を通り抜ける人々の歓喜に、担ぎ手の興奮もピークに達します。また、今年は新魚町が8年に一度の上祇園の年番町でもあり、身が引き締まる思いと共に昭和18年より、途絶えていた傘鉾の復興に着手し、お囃子の練習に町内の子供たちが本番を前に、一生懸命練習をしています。当日の頑張っている子供たちの勇姿をご覧下さい。
下正路町
下正路町の祇園車は、中津祇園唯一の舟車で、現存する車の中で最も由緒ある車です。車には「天鳥丸」という舟を載せており、闇無浜神社の次官を務めています。下正路町では3歳から小学6年生までの約20名の子供たちは、祭典中「御舟唄」を辻々で歌っています。この御舟唄は、本来は藩主が新しい船を造った時や参勤交代で中津を船出する時に、武士の資格を持った船頭によって唄われていました。当時は一般の人は、唄うことを許されなかったそうですが、下正路町は、祭典中に唄う事が許されていたそうです。そして、中学、高校生になると、鉦打ちです。古くから祇園に参加している町内なので、叩き方は他の町内と違ってシンプル。一度でも鉦を使うと、自分たちで鉦を磨くので、鉦はいつでもピカピカと輝いています。
桜町
桜町の車は、明治28年に1階建として完成し、昭和11年に2階建てに改造されました。改造当時、桜町は豊前屈指の花街であった為、車の至る所に繊細で豪華な飾りが施されています。今年は、台輪より上の部分を、全面的に塗り替え、各所の部品も造り直して補充したので、一昨年に比べてさらに美しい祇園車に仕上がりました。桜町の祇園車は、下祇園の他の町内と比べると鉦の音色や太鼓の調子が異なります。鉦の音色は高く響き渡り、太鼓の調子は鉦に合わせながら調子をはずす裏打ちが特徴的。ぜひ、囃子の違いを聴き比べてみてください。また、御神幸の際に辻々で行われる踊りは、とても優雅で時代絵巻のような美しさもあります。勇壮絢爛に舵を取り進み、御神幸する桜町の祇園車をご覧ください。
龍王町
龍王町の自慢は、2006年に全面塗り替えをした車です。塗り替え前の面影を残しつつ、各部に金箔や彩色を施して絢襴豪華に仕上がってます。ぜひ見ていただきたいのは、引き出しの夜の「お宮入り」と福沢通り等での「やりどり」。どちらも威勢良く、お宮や辻を曲がって行きますが、綱や台輪、舵、車に付いている全ての人が一体とならなければ、成功しません。それから、朝車の朝と戻り車の夜、龍王町がお宮に奉納する「松前音頭」も、是非ご覧下さい。龍王町の子供たちは、生まれた時から祇園に参加し、綱を引っ張ったり、鉦を打ったり、御幣を持って追ったり、踊りを盛り上げたりと、祇園を通じていろいろなことを学んで成長していきます。そうするうちに、生活の中心が祗園となり、龍王町の祇園を誇りに思って、大人へと成長していくのです。
堀川町
現在の堀川町祇園車は三代目で、明治40年に完成しました。総ケヤキの「台輪」や、先代の祇園車(慶応年間)から受け継ぐ「欄間」など、重厚な雰囲気の祇園車です。囃子は町内の小中学生で構成される「鉦打ち連中」により演奏されますが、囃子の中心となるのが「切り鉦」で、鉦打ち連中のリーダー格が担当します。切り鉦は約一尺の大きさで、八坂神社の神紋が装飾として施されており、独特な響きを奏でます。囃子のテンポを速めたり、切る(終える)時は、この切り鉦が指示を出します。普段は、幕に覆われた暑い祇園車の中で演奏しているので、あまり表舞台に出ることはありませんが、縁の下の力持ちでもある囃子にも、ぜひご注目ください。また、今年の中津祇園に合わせて、青年浴衣を新調した、粋な堀川町をどうぞご覧下さい。
姫路町

姫路町の自慢すべき点は、人の輪だと思います。姫路町は小さな町で、普段は静かですが、祇園の季節となれば一変します。姫路町の祇園を愛し、素晴らしいものにしようという気持ちを持った100人以上もの人が集まり、家族のような絆とまとまりを見せてくれます。祇園では、姫路町のまとまった動きに注目して見ていただきたいと思います。子供たちは、祇園という行事の中で、大人たちから多少厳しくも優しい指導を受けることで、学校ではなかなか勉強できない地域とのつながりや伝統文化を受け継ぎ、残していく大変さや大切さを学んでいるのではないかと思われます。子供たちには、今後の姫路町のみならず、中津祇園を担う存在になって欲しいと期待していますし、きっとそんな存在になってくれると思っています。
角木町
角木町は、闇無浜神社の御神輿を担いで、傘鉾とともに御神幸します。傘鉾は、横笛や太鼓、チャンガラと呼ばれる鉦で、場面に応じて変わるお囃子を奏でながらの御神幸。子供たちは、お囃子を担当し、もっと小さな子供たちは傘鉾をひきます。引き出しの午後は、子供御神輿も担ぎます。角木町は、下正路町とともに「次官」の位が与えられており、朝車の朝には、一年間、神様を預かっている座前元の家で、「次官祭」と呼ばれる神事が執り行われます。朝車の未明、御神輿に御神体を移した後、各祇園車が御神幸に出発。祭最終日である戻り車の夜、御神楽から御神体が降ろされると、祇園祭が終了となります。このように、祇園祭典の様々な節目で、重要な役割を担う角木町は、伝統と品格を重んじながら力を合わせて頑張っています。
























