第九回 古門 孝之 氏
古門孝之 氏 (08/1月号smile掲載)
ふるかど たかゆき
大分県指定無形民俗文化財「北原人形芝居」の人形遣い。
通常3人で操作する人形浄瑠璃を1人で操作する「挟み遣い」と呼ばれる技術を現代に復興させた若き遣い手。
長きに渡る人材不足で廃れてしまった挟み遣いだったが、祖父の葬儀の時、中津市の歴史書で自分の大伯父が人形遣いであった事を知り、復興を志す。
当時のほとんどの関係者が亡くなっており、また資料も残っておらず、まったく0の状態からの挑戦だったという。
今まで生きてきて、何をやっても
ボンヤリとしたものしか見えていなかった。
人形に出会った時、一本芯ができた気がする。

大分県中津市北原の原田神社では、毎年2月の第1日曜日の万年願(まんねんがん)に「北原人形芝居」が奉納される。
これは、三味線を伴奏楽器として太夫が詞章を語り、これに操り人形が加わる「人形浄瑠璃」と呼ばれる日本の伝統芸能であり、その起源は古く、さかのぼる事700年前、鎌倉幕府第5代執権「北条時頼」が諸国巡歴の途次に現代の中津市に訪れた際、北原の村人たちが余興として人形芝居を演じ、その演技を称賛した時頼の言葉として「北原は海にも添わず、山にもつかぬ土地柄故に、踊りを業とし渡世せよ」というものが残っている。
10年前、当時二十代の古門さんは、祖父の葬儀がきっかけで北原人形に関心をもち、奉納会(現保存会)に入って三味線の稽古を始める。
やがて三人遣いの足遣いに加わり、その後伝承者のいない「挟み遣い」の復活に打ち込んできた。
当初「挟み遣い」の歴史は消滅しており、もちろん教えてくれる人もいなければ、人形すら現存しておらず、わずかに残った記録をかき集め、試行錯誤の毎日だったと古門さんは話す。
そんな毎日を送る中、それでも何とか手がかりを掴んだ。

そう、資料も何も無いのだから結局の所自分で考えるしかないのだ。
人形を操作する手を「弓手」という。
古門さんは3通りの使い方をあみだした。
時を同じくして、大伯父さんが使っていたという人形の頭を発見する(写真の人形はこれを復元したもの)。

さて、ここで簡単に「挟み使い」の特徴を挙げてみる。
人型の人形は普通に考えて頭部、上半身(両腕)、下半身(両足)と最低でも5パーツで構成されている。
実際には顔の表情や各関節などを入れると更に複雑な操作が要求される事は間違いない。
対して操作する人間の腕は2本。操作するのに3人がかりという理由はおわかり頂ける事だろう。
そしてそれを1人で操作するという事が、いかに困難を極めるという事も。人形の足を自分の足の指と繋ぎ、2本の腕で手の動きや顔の表情を自在に操る。
人形を構えた姿勢が、人形を後ろから挟みこんだ姿になる事から「挟み遣い」という名前がついたのではないだろうか。
2007年9月には、東京代々木で八王子車人形とのコラボを果たすなど活躍の場は確実に広がってきている。
文楽の最高峰「三人遣い」の人形芝居に、「挟み遣い」でいかに近づくか。
古門さんの挑戦は続く。
北原人形700年の歴史の中で、挟み遣いの灯は消えない。
古門さんが生きている限り。























